69年末にカップスを脱退後は、一連のカップスのヒット曲を手がけた作曲家・鈴木邦彦に師事し、70年9月にソロ・シンガーとして「雨の街」でデビュー。このデビュー曲の他、シングル「ガラスの部屋」「雪が降る」「サンゴ礁の娘」「夕陽は傷だらけ」、アルバム『雨の街』をマモル・マヌー名義でリリースした後、ベンチャーズのボブ・ボーグルとドン・ウィルソンが作曲・プロデュースを手がけたシングル「ふたりの舗道」「北国の別れ」を<三枝マモル>名義で、カップス・ナンバーのリメイクしたシングル2作(「もう一度人生を」「長い髪の少女」)とシングル「青春のどこかで」、アルバム『長い髪の少女』を<ゆうき剛>名義で、それぞれリリースしている。また、70年にリリースされた作詞家・安井かずみのソロ・アルバム『ZUZU』に、「その時では遅すぎる」という自作曲を提供しているのも見逃せない。
 その後しばらくのブランクを経て、88年にはミッキー、デイヴ、アイ高野たちと共に<タイガース・メモルアル・クラブバンド>に参加して活動。、90年代には、元ベンチャーズのノーキー・エドワーズとのジョイント・ライヴを行なっている。
 2001年からは、特定非営利団体<OJPC(オールディーズ・Jポップス・クラブ)のチャリティー・コンサート活動に、岡本信(ジャガーズ)、加橋かつみ(元タイガース)、三原綱木(ブルー・コメッツ)たちと共に参加。同年10月にリリースされたアルバム『OJPC物語2001』のレコーディングにも参加し、「長い髪の少女」と新曲「私の心は雨模様」を歌っている。